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Interview

第11エピソード

この未発表インタビュー(長編インタビューのために「連載形式」となった)は1997年に行われたものである。ペトルチアーニはこのインタビューでそれまでの彼の経歴を詳細に語り、人生の秋に長い旅路を読み返すこととなった。
これはその第11エピソードの最終章である。
(まだ第1エピソードを読んでいない場合はこちらをどうぞ。)


ステファン・グラッペリとアルバム「フラミンゴ」をレコーディングしたのは、フランシス・ドリュフェスのアイディアでした。ステファンとは前からの知り合いだった。15年前、僕がブルックリンにいた頃彼に出会った。彼はブルー・ノートで演奏していて…僕はステファンに言った。「アメリカの方ですよね…僕の家に食事をしに来ませんか?庭があるので、バーベキューもできます…サーモン・グリルも出しますよ…」って。彼は「喜んで!」って答えた。ステファンは友人のジョゼフを連れて僕の家にやって来た。僕が演奏したら彼はこう言った。「いつか一緒に何かやろうね…」って。

レコーディングはごくごく単純に行われました。僕はステファンにスタンダードやシャンソンを50曲位リストにしてファックスで送った。その中から実際にレコーディングした10曲を選んだ。レコーディング中、僕らは冗談を言い合って、みんな上機嫌で、とても落ち着いてできた。ステファンは面白くって、何度か居眠りをしていた…彼はヘッドホーンをつけたまま起き上がったりしていた。だから僕らは「ステファン、ヘッドホーンを外しな!」って言ってた。外さなかった時は、顔にぶつけていたね…ベーシストのジョージ・ムラーツとレコーディングしたのもこれが最初だった。珍しいんだけど、この「フラミンゴ」ってタイトルをつけたのは僕じゃない。「フラミンゴ」は彼が気に入っている曲だった。そう思う…このアルバムはどっちかっていうと結構売れた。ジャズ部門ではめったにないんだけど、ゴールド・ディスクになったし、フランスで10万枚以上売れた…

97年の終わりには「ボース・ワールズ」を出しました。これは自慢の作品です。けどアルバム作りはとても大変だった。まず、会社と格闘しなければならなかったしね。っていうのも、セプテットを結成することは時代の流れに沿っていなかったから、あらかじめ了承を得られなかった…だから何度も話し合った。人と協力して仕事をする時は、それに関係する人、皆がそのプロジェクトがいけるって信じてないといけないよね。じゃないと、プロジェクトをやり遂げることも、成功させることもできない。僕は本当にやりたかった。やれると決まったら、すぐにドラムはスティーヴ・ガット、ベースはアンソニー・ジャクソンを考えた。初めはセプテットに、ミシェル・ポルタルが欲しいって思った。サックス兼バス・クラリネットとしてね。僕は金管楽器やリード楽器ができる人が欲しかったんだ。アレンジに関しては「マーヴェラス」の時みたいに外してしまうことは避けたかった。ミシェルはトロンボーン兼アレンジャーにボブ・ブルックマイヤーを頼んだらって言った。彼はボブと働きたかったのもあるみたい。デュオで一緒に仕事をしたことがあったミロスラフ・ヴィトウスも同じことを僕に言った。「ボブ・ブルックマイヤーは最高だよ!」って。僕はためらわずにボブに電話を掛けた。彼に僕のことを知ってるか尋ねた。彼は僕のことを知っていた。それで「僕と一緒に仕事してくれませんか?」って言ったら、彼はOKしてくれた。僕は彼に音楽を送った。以上、そういうあらましでアルバム作りが始まった。

彼は素晴らしいアレンジをもってやって来ました。けど凄く長かった。もしボブの持ってきたアレンジをそのままやったら、一曲20分か25分位していたと思う…僕は怖くなった。リハーサルで頑張って彼のアレンジをそのままやると、皆ぜーはーぜーはーって息を切らして疲れちゃって…ボブ・ブルックマイヤーのアルバムを作ってるって気持ちになってきた!僕はなんかよく分からなくなってきて、泣いちゃった…だけどこのアルバムは作りたいって思った。だからやったよ。そしてやっぱりツアーもした。僕はメンバーに「あのね。アレンジものじゃなくってスタンダートをやろうと思うんだけど…」って言った。そしたらポルタルはこう言った。「スタンダードをやんなくちゃなんないなら、僕は君のお役にはもうたてないと思う。降りさせてもらうよ…」って。ボブは僕のことを音楽的にはあまり分かってないと思った。けどこのツアーを通して、彼は僕の音楽を理解して、僕に合うようにアレンジを練り直してくれた。

ニューヨークに戻って、レコーディングをして、全部の曲の長さを作り直した。5日間でね!アルバムを出して、結果は大成功。曲が本当によかった。アルバムは沢山売れた。皆が大満足。最終的にね…このアルバムを誇りに思ってる。けど、僕はボブとは何度かやりあって、結局、彼を別のトロンボーン奏者のドニ・ルルに代えた。今度の新しいピアノソロアルバムを出したら、次に僕はピアノコンチェルトを作ろうと思ってる。コンセプトは既にある。けど、2,3ヶ月は必要だな。ニューヨークに、イタリア、ドイツ、フランスでしょ。この4箇所で演奏したいからね。

僕が最初に出したアルバム「フラッシュ」と「ボース・ワールズ」のアルバムジャケットを見ると、これまで駆け巡ってきた道のりを思い返します。1980年、僕は歩けなくって、体重は25キロで、世の中のことを何にも知らなくって、どうやって生きていったらいいのか不安だった…1997年、僕は前より丈夫になって、松葉杖を使えば歩けるようになったし、一人で何とかやれるようになった。前より健康になったし、色んなことを学んだ…髪の毛は少なくなったけど、今の方がかっこいいと思う!

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[翻訳]
Poisson
[訳注参考サイト]
CDJournal
Universal Music

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