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Interview

第4エピソード

この未発表インタビュー(長編インタビューのために「連載形式」となった)は1997年に行われたものである。ペトルチアーニはこのインタビューでそれまでの彼の経歴を詳細に語り、人生の秋に長い旅路を読み返すこととなった。その第4エピソードである。彼がアメリカにやって来て、チャールズ・ロイド、リー・コニッツと出会ったくだりである。(まだ第1エピソードを読んでいない場合はこちらをどうぞ。)

「アメリカで僕の友トロックス・ドロハートは生活するために色々やってました。僕がアメリカにやってくるちょうど前にはサックスプレーヤーのチャールズ・ロイドの家の屋根の修理をしていた。っていうかプールも修理してたな…実際、彼は何でもやった。よく言うと、彼は「カリフォルニア・ヒッピー」って感じ…

カリフォルニアではビッグ・サーという街に住みました。モントレーの近くの田舎街。で、すぐにトロックスはロイドに言った。「ミシェルを会わせたいんだ!感じがいい奴で、ピアノが上手で…」って。ロイドはというと、トロックスが屋根の修理を仕上げることをまず望んでいたから、「屋根の修理に専念しておくれ。お前さんのフランスの友達なんて連れてきなさんな…」って言った。その当時、チャールズ・ロイドはもう演奏を止めてました。不動産の仕事をして、土地や家を沢山所有して…お金持ちになっていた。

僕はというと、すぐにエサレンを見つけました。ビッグ・サーにあるセラピー研究所のこと。お金持ちやストレスを抱える人に施術を施す所です。クッションとかを叩きながら、「ばか野郎!お前を恨んでやる!恨んでやる!」とか叫んで、暴力とか憎悪、怒り、ストレスを取り除くんだ。それで2、3万ドルしたな…トロックスはそこの人達のことを知っていて、彼らのところで僕を使ってもらうように声をかけてくれた。「ミシェルがダンスレッスンでピアノを一時間弾くから、代わりに住まいと食事を用意してやってくれないかな。」って。名案だった!

研究所でむかえた初めての朝、目を覚ますと、窓の前に素っ裸の一人の女性がいた…これもセラピーの一環だった…それで僕は「いぇい。楽しくなりそうだな…」って思った。っていうか実際、凄い楽しかったな!ババ・クール {68年世代のヒッピー流生活スタイルのこと}にトリップしちゃった。キャンプファイヤーでしょ、バーベキューもしたな…音楽的なことに関しては、真面目にやるって感じじゃなかったけど。女の子も沢山いたし、エイズとか問題になる前の60年代ののりっていうのかな。「ハーイ…今晩どう?」って感じ。

2週間ぐらいたった頃、一人の女性がダンスレッスンの時に僕に会いにやってきた。ブロンドの髪で、かなり綺麗で、凄い上手にフランス語を話した。「ドロシー・ダールと申します。チャールズ・ロイドの妻です。フランスが大好きです…ニースとか…」僕らは気が会った…彼女は多分ロイドに僕が感じがいい奴で、トロックスのいつもの仲間、つまり、腕に注射をさしている荒っぽい連中とは違うって言ったんだと思う…ともかくある晩、チャールズ、ドロシー夫妻に僕はディナーに招待された。正装して行ったよ…凄い大きなお屋敷だったな…チャールズ夫妻は僕らをもてなした。トロックスもそこにいたんだ。チャールズはあぐらをかいて座っていた。なんか「ブッタ」って感じ…ビッグ・サーのほかの人も来ていたな…

そこで僕らは話始めた。ドロシーが通訳しながらね。けどどっちにしてもチャールズはほとんど喋らなかったな。ドロシーは社交的だったけど…その席で、チャールズが僕に尋ねた。「で、君は何をしているの?」って。僕はピアノを弾いてやっていきたいって応えた…
「え?ピアノならそこにあるよ…」
スタンウェイのB型のピアノ!僕はその頃ちゃんとピアノを弾く機会がなかったから、このピアノを弾きたいって思った。だから立ち上がって、ピアノを弾いた。アメリカで色んなことを体験して、音楽以外の他のものも見てきて、だから僕の音楽は変わり始めていたんだと思う。この旅、新たに出会った人々、幾つかのドラッグ、新しい地平線とか…

僕が弾き始めて10分後、チャールズを見ると、彼が部屋から出て行くのが分かった…「ああ、僕の演奏にあきたんだな」って思った…けどね、僕はチャールズ・ロイドが何者であるか知らなかったんだ…その当時はキース・ジャレットだって知らなかったんだから!ピーターソン、ビル・エバンス、エロール・ガーナーアート・テイタムモンクバド・パウエルしか知らなかった…ハンコックだって知らなかったんだ!チック・コリアは兄貴が貸してくれた「リターン・トゥー・フォーーエヴァー」のアルバムを聞いていて辛うじて知っていた。僕は本当に「親父の音楽教育」に浸かっていたんだ。
それでチャールズ・ロイドが出てって…それからサックスを持って僕の後ろにやってきて、「プワ、ドゥー、ビ、ワップ!」って、吹いた。僕らは一緒に演奏し始めた。並外れた音だった。フランスでは決して聴いたことがない音。テナーサックス、凄い大きくって、コルトレーンロリンズ、あの音量、低音…ドロシーが泣き始めた…僕らは夜中から朝の7時まで演奏した。ぶっ続けで。そして真夜中に彼が突然言った。「ピアノの化身、メッセンジャーを見つけた。10年間ずっとこんなピアニストを待っていたんだ。又やるぞ!」チャールズはすぐに彼の弁護士やマネージャーを呼んだ…

その数日後、僕らはサンタバーバラのロベロ劇場でコンサートをした。アメリカで2000人もの人を前に演奏した…2、3週間のうちに、僕はカリフォルニアの全ての新聞に取り上げられた。チャールズが僕のことを話したから。彼は僕のおかげでカムバックできたって言った。僕は「フレンチ・ワンダーボーイ・フロム・ザ・サウス・オブ・フランス{南仏からやって来た不思議なフランス少年}」となった。何年もの間退いていた「グレート・マスター」をカムバックさせた子って。1ヶ月でスターになった!チャンスってそんなものなんだと思う。人生においては時にね。

モンテリマールを離れる時、親父は僕がまともにやっていけないだろうって言った…だからフランスに帰省した時に、僕の名前や写真が掲載された新聞全部と出演したコンサートのカセットを持って帰った…僕の名前がアメリカ口調で「ピアノはマイケル・ペトルチアーニ…」って発音されるのを聞くのもこれが初めてだったな。ようやく向こうで演奏できるようになったんだ。彼ら、つまり僕がそれまで生涯一緒に演奏するなんて考えもしなかったミュージシャン達とね…始まったんだ!それからチャールズ・ロイドとは5年間一緒に仕事をした。

1982年5月に、「Toot Sweet」をレコーディングした。アルトサックスのリー・コニッツとのデュオ。変なんだけど、このアルバムのレコーディングのことを全然覚えてないんだ…ちょっとしたことも全然。けど悪くないよね。なんか雰囲気がある。コニッツがこのアルバムに独特の色調と味わいを醸し出したんだと思う。これはOwlレコードのジャン・ジャック・ピュシオーのアイディアだった。僕はバックで自分に出来うることをとにかくやった。ピュシオーはこう言った。「僕はリーの演奏が大好きで、彼と君のデュオはいけると思うんだけど、どうかな?」って。何言ってるの!そんな凄い光栄だよ…リー・コニッツとアルバムレコーディングなんて…でも、僕は彼がこの話を断るだろうと思ってた。けど引き受けてくれた。僕らは何と言うこともなく演奏し始めた。けど正直、もう覚えてないんだよね…

それから2ヵ月後、チャールズと初めてアルバムレコーディングをした。コンサートのモントルー・フェスティバルでのこと。ジャケットの裏に写真が一枚ある。その当時、僕はたった一人では歩けなくって、元奥さんが僕を抱きかかえて移動してくれた。舞台に上がるときは、チャールズにもやってもらってたな。僕はピアノを弾く、本当にただそれだけの人だったんだ!あの頃の体重は25キロ。今は41キロあるよ。太りすぎだよね!僕の奥さんはインディアン・ナボホ族の出身で、アメリカで彼女と結婚した。僕らの結婚はドパルデュー「グリーン・カード」って映画みたいだったな。僕らは付き合って、しょっちゅう一緒に出かけていた。僕は本当に彼女のことを好きだったから、彼女にプロポーズをした。でも答えはノー…それで、彼女に「お願い。結婚してよ。じゃないと、僕はグリーンカードを失って、どうにもこうにもいかなくなっちゃうよ…!」って言ったんだ。結局彼女は承諾した。そんな風にして僕らは結婚した。立会人は二人だけでね。式とか何もやらなかったな…それから僕らは5年一緒に過ごした…彼女の名前はエルリンダ・モンターニョ。僕の最初の奥さん…

1982年に特にチャールズ・ロイドとツアーをした。ドラムスにはソン・シップ・トイス。彼は大柄な人でしたね。今は、体調を崩してる。透析だって…僕は少し音楽プロデューサーの役割もしてました。勿論チャールズと。例えば、ビル・エバンスの「ヴェリー・アーリー」をやろうって言ったのは僕。ロイドのレパートリーには全然なかったんだけどね。この曲をロイドに演奏させるのには6ヶ月かかったな。コードをとることがなかなかできなかったんだ。いつも見失ってた。彼はこの曲は凄いいい曲だけど、自分はモードをやる方が好きだって言ってたな…

僕はグループにパレ・ダニエルソンも加えた。チャールズ・ロイドが連れてくるベーシストは下手なのが多かったから…僕はロイドに絶対にベーシストを代えるべきだよって言ったんだ。僕が体を壊して演奏できなくならない限り代えてよって… パレとは、ジュヌヴィエーブ・ペレーニュ、それからアルド・ロマーノと食事をした時に会った。そこで彼は連絡先を教えてくれた。僕がチャールズに彼のことを話したとき、どんな人なのかって聞かれた。僕は以前ヤン・ガルバレクやヨン・クリステンセンのグループでキース・ジャレットとやってた人だって説明した…それから、ロイドにアルバムを聴かせた。彼はそれを気に入って、僕にパレに連絡してくれって言った。」第5エピソード。


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[翻訳]
Poisson
[訳注参考サイト]
CDJournal
モントレー半島の生活・観光情報サイト
Oops! Music Co
フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』
Universal Music
LAガイドのパームツリー・ツアーズ
allcinema
Comme il vous plaira
エサレン研究部


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