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Interview

第5エピソード

この未発表インタビュー(長編インタビューのために「連載形式」となった)は1997年に行われたものである。ペトルチアーニはこのインタビューでそれまでの彼の経歴を詳細に語り、人生の秋に長い旅路を読み返すこととなった。その第5エピソードである。彼はフランスに帰省し、最初のソロピアノアルバムをリリースした。又、フランク・カッセンティの映画に出演し(「Lettre à Michel Petrucciani」)、チャーリー・ヘイデン、マイルスと出会ったくだりである。(まだ第1エピソードを読んでいない場合はこちらをどうぞ。)

「 1982年秋に、チャールズ(ロイド)とパリのジャズフェスティバルで演奏した。その機会にフランスに戻ったんだけど、僕はもうアメリカ人みたいになってたな。英語を喋ったし、服装とかもアメリカっぽい感じで、サンダルを履いてライブに出た。僕らは裸足で演奏したんだ!僕はもうフランスの仕来りとかほとんど忘れてたな…アメリカナイズされたっていうか、うん、カリフォルニアナイズされたんだ!ニューヨークではない。まだね。けどピストル、太陽、つまり、カリフォルニアなんだ…

この頃は僕の人生で最も輝かしい時期だった。僕はそれを小さい頃からずっと願ってきたし、だからしっかりとかみ締めた。色んなことを体験した。旅、飛行機、大きなホテル、まあ、これはチャールズが綺麗なホテルにしか泊まらなかったからなんだけどね…僕らは大きなバスルームにため息をついて、至る所のボタンを押しまくった…僕なんてプロヴァンスの田舎者で、そんなに旅行もしたことがなくって、世の中のことも大して知らなくって、リムジン、4つ星、「一日24時間ルームサービス」も初めてでしょ…びっくりしたよ!初めてスイスに行ったときもね!フランスとアクセントが違うでしょ…それと、日本、日本人!飛行機で13時間、とっても嬉しかった!

今はね、こんなこと言うのは残念なんだけど、僕はちょっと感覚が麻痺しちゃってると思う…それはやっぱりいつも嬉しいよ、けど、あの頃の熱い感動はもうない。僕は日本に25回行ったことがある。モントルーにはもう数え切れない位行った…飛行機にはもう何回も乗ってて、うんざり…あっ、けど誤解しないでね。僕は「お仕事」のことを言ってるんだ。音楽のことじゃないよ。これは別の話。今は出演料があるけど、まあいってみればこれは、僕が旅行の荷造りをする為に支払われているお金なんだ。僕の音楽、これはいつもただなんだ。けど僕が旅行の荷造りをすること、これはどんどん高くなってきてる。なぜって僕はもう少し旅行の回数を減らしたいから…その代わりにあの頃は…いつでも出発した!けどそれでもあの頃はお金をもっていなかった。チャールズ・ロイドは僕に一銭もくれなかったんだ!僕らは一緒に5年間仕事をした。けどとうとうチャールズと幾つか問題を起こして終わったんだ。彼は生活費もろくにくれなかった。…僕が18歳のときの話。けど、25、6歳まで続いた。そんなこんなで色々と溜まり始めて、僕はついにロイドの所から飛び出した…

1982年10月に、最初のソロピアノアルバム、「Oracle's Destiny」をレコーディングした。これはビル・エバンスに捧げたもの。僕にソロアルバムの話をもってきたのはジャン・ジャック・ピュシオーなんだ。あの頃の僕にソロアルバムを出す力はなかったんだけどね。だから、僕の本当の意味でのソロピアノアルバムは「Au Théâtre Des Chapls-Élysées」。これはその12年後になってようやくレコーディングされたものなんだ。残念なことだけど、ジャン・ジャックが僕にソロアルバムのレコーディングを打診してきたとき、僕は断ることが出来なかった。仕事をもらえて嬉しかったんだ!まあ、20歳そこいらの時ってそういうことに弁も立たないしね。レコーディングの契約のことだとか、アルバム制作のことだとか。「はい、オーナー。了解です、オーナー。ありがとうございます、オーナー…。」なんて言っちゃうよね。

括弧をはずして敢えて言わせて頂くと、今時の若者、若手ミュージシャンに足りないものは謙虚さだと思う。彼らは契約にこぎつけようとしている時、自分達がその時ラーッキーな状況にいるってことを分かっていないと思うんだ!僕は割りに結構この種の話を聞いたことがある。「今練習しない?ああ…はい…けど、そっちに行くことができないので、えっと、母がクネルを用意して待ってるので…じゃ、明日は駄目かな?」…うん。僕にもそういう事ってあったし、まだあるよ!けど僕は若い頃、誰かが声を掛けてくれたとき、「はいはい、何?オーケー!」って言ってた。で、今ヴィップルームに泊まれるようになったんだ!それが僕の人生。仕事の依頼を受けたときはどんなものでも断らないって約束するよ。絶対にね!

1982年に話を戻そう。あの当時、シネアストのフランク・カッセンティが僕の映画を作った。タイトルは「Lettre à Michel Petrucciani」。この映画は1983年のカンヌ映画祭に出品された。これを企画したのはジャン・ジャック。その当時フランクは別の映画のカメラマンをしていた。彼はその撮影の間、いつもフィルムが終わる前に終わったことにしてテープを交換した。そして残ったテープの未使用の部分をつぎはぎして、彼の映画を撮影するためにとっておいた…これが彼のデビュー作となった…

少し後になって、ベーシストのチャーリー・ヘイデンに会った。これは僕にとって重要な出会いとなった。彼と仕事をするのは凄い楽しかった。僕らはデュオでアメリカツアーをした。サンフランシスコ、サンタバーバラ、ロサンゼルス…この当時、僕はまだかなり控えめで、ミュージシャン仲間に質問をそれ程することが出来なかった。お邪魔じゃないかな、とか生意気かなとか気になってしまってね。けどしばしば、向こうから自分達のことを話してくれた。例えば、チャールズは若い頃の話をしてくれた。キャノンボール・アダレイのこととか…あと時代的にもやっぱりドラッグの話とか多かったな…最近ロイドに再会した時に、モードのことを質問した。特に音階のこととか。例えば、フリジアン、ドリアン、リディアン…のこと。ロイドはこの分野に関して相当な知識がある。ロイドは僕が質問したんで、得意になって喜んで教えてくれた!今は、僕らは仲間として一緒に演奏する。もう師弟の関係は感じない。だからそんな風に尋ねることができた。けど昔はブッダの精神みたいで、質問なんてできなかった。師匠が教えを説くだけなんだ。師が何か教えを説く場合、それは弟子にそれを教える必要があると師が判断したからであって、教えを説かない場合、まだそのことが弟子に必要ないからなんだ。僕は厳しく育てられたからこうした育て方は尊重するな。それに、僕の作る音楽学校では-僕は学校を作るのが夢なんだけど、実現したら僕の生活の中心になると思う-そうした師弟関係を作りたいと思ってるんだ。けど、今の若者達は沢山の情報に囲まれてるでしょ…僕の息子なんか8歳だけど、インターネットもやるし、電話もする…僕がその位の年の頃は電話は大人のものだったけどね!時々、ママが電話を掛けてくると、僕に代わってもらったけど、それでも受話器は大人が持ったままだった!僕が受けた音楽教育を考えると、自分はたたき上げのミュージシャンの最後の世代だと思うんだ。大変恐縮だけど。だって、最後のグレートマスター達と同様に育てられたから。アメリカ流とも言えるよね。仕事をもらう喜び、演奏する喜び、教えを受ける喜び…ある種の見識というか、謙虚さっていうのかな。

えっとね、マイルス…彼がね、僕に電話をくれたんだ。最初は僕がブルックリンに住んでいた頃のことだった。ロイ・ヘインズとゲイリー・ピーコックとニューポート・ジャズ・フェスティバルでコンサートをしたんだけど、それがテレビで放送されたんだ。-同じ頃、ニューヨークのスウィート・バジルで僕はカルテットを組んでいた。ギターのジム・ホール、ベースにロン・カーター、ドラムにアル・フォスターのカルテット。それでマイルスが僕に電話をくれた。そこで彼はこう言った。「キープ・プレイング、マン、ユー・サウンド・グッド{演奏し続けな。いいサウンドだ。}」それだけ。その晩、コンサートでアル・フォスターが「マイルスからの電話、嬉しかったでしょ、ねぇ?君の電話番号をマイルスに教えたのは僕なんだ…マイルスが君に電話をしたとき僕らは一緒にいたんだ…」って言った。詳しく言うと、二人はテレビでゲイリーとロイとのコンサートを見ていて、マイルスが僕の電話番号を尋ねたそうなんだ。凄い嬉しかった…その後で、マイルスに会った。2、3度話した。同じ晩に同じステージに立つこともあった。ポーランドとそれからトロワでも。カーネギー・ホールでも一度…いつも凄い感じがよくって、ミュージシャン達に凄い親切なんだ。で、ある日僕はアル・フォスターに言った。「マイルスのお家に伺っていいか聞いてくれないかな…」って。勉強のために、色んなコツとかアドバイスとかを聞きたかったんだ…彼はミュージシャン達と特にそうしたことをしていたけど、教えてもらえるのは一緒にやってるメンバーで、僕はマイルスのグループじゃなかったから…マイルスはアル・フォスターにこう言ったんだって。「Tell this little motherfucker that if he comes to my house I'd love him so much that he'll think he is God or something... 」って。マイルスが僕をあまりにも可愛がるので僕が自分を神か何かと思ってしまうんじゃないかと思うって…これは凄い嬉しかった。だから僕は彼の家には行かなかった!」第6エピソード。


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[翻訳]
Poisson
[訳注参考サイト]
CDJournal


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