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Interview

第8エピソード

この未発表インタビュー(長編インタビューのために「連載形式」となった)は1997年に行われたものである。ペトルチアーニはこのインタビューでそれまでの彼の経歴を詳細に語り、人生の秋に長い旅路を読み返すこととなった。
これはその第8エピソードであり、「Music」、「Manhattan Project」が成功したくだりである…
(まだ第1エピソードを読んでいない場合はこちらをどうぞ。)

「Music」を出す前は、僕はアメリカで1万から2万枚売り上げてました。フランスでは1万枚いかなかったけどね。まあ、成功したって言えると思うけど、大成功じゃないよね。それで僕は「Music」を作った。「エレクトリック」なグループと一緒にね。もっと「親しみやすくって分かりやすい」音楽を作りたかったんだ。ジャズから離れてちょっとポップスに入ったって言えば分かるかな。「分かりやすい」って言葉はレベルが低いとかいった変な意味じゃないよ。僕は本当にもっと多くの人に聴いてもらえる音楽を作りたかったんだ。ポップスの方がジャズのテーマより多くの人が親しめると思った。これはポップスの作曲家としての僕のキャリアの始まりになりましたね。本当に皆が読み取れて楽しめる音楽にしたんだ。けどこれは結構批判されたね。エレクトリックなグループと一緒やったこととか…このアルバムには「Looking Up {原文ではLooking Outと表記されているが、正しくはLooking Up}」という曲が入っているんだけど、エリック・クレッスマンがこの時もプロデューサーで、彼はこう言ったんだ。「君のこの曲はいいけど、アルバムの最後に持っていこう…」って。だから僕は彼に言ってやった。「頭おかしいんじゃないの。この曲は最高だよ!僕はね、この曲を凄い気に入ってるんだ。だからアルバムの最初にもっていきたい。ザ・ファースト・トラック・オブ・ザ・レコード{レコードのファーストトラックだよ}!」ってね。

このアルバムは凄い売れましたね。フランスでのアルバム売り上げは9万枚いった!けど僕は売れたっていう実感がほとんどわかなかった。だってほんの少ししか印税が入ってこなかったからね。僕の契約はひどいものだったし・・・アメリカでは約10万枚売れた。だからこれは冗談じゃ済まない深刻な問題になっていった。ある日、僕の友達で、ジョニー・クレッグのマネージャーをやってる奴がいるんだけど、そいつがEMIの事務所に契約をするために行ったら、受付で巨大な写真を見た。なんとその写真は「Music」のジャケットの拡大版だったんだ!彼は僕に電話をくれてこう言った。「ミシェル、君はもうスターなんだよ。EMIの玄関に君の写真が飾ってあるんだから!」・・・それから僕はブルー・ノートにはやりたい様にさせてもらった。僕が事務所に行ったら、皆慌てふためいたもんだよ・・・もう「待っててくれる。いるかどうか確認してくるから・・・」なんて言われることはなくなった。どうぞどうぞって扉を大きく開けてくれてね・・・うまくいくと、話し方まで変わっちゃうんだよね。これはアメリカに限った話じゃないけどさ・・・コンサートもできるようになった。出演依頼も増えていったし、ギャラも上がった。これは僕のキャリアデビューになりましたね。僕は「ジャズピアニスト」の枠から飛び出して、少しポピュラーになっていったんだ。僕はね、誰か人のためにピアノを弾くんだ。僕の音楽を知るのにはマニアックな玄人じゃなくても構わない。通じゃないと駄目だよなんて言う程僕はうぬぼれてないよ。自分の魂を売るようなことまではしないけど、沢山の人の心を揺さぶりたいと思ってる。だってジャズは一部のエリート達だけのものじゃないでしょ?

「Music」の後に「Manhattan Project」を出しました。ウェイン・ショーターと、ベーシストにスタンリー・クラーク、ヴォーカルにラシェル・フェレルを迎えたアルバム・・・このメンツを揃えたのはドラムのレニー・ホワイトなんだ。彼は最初にピアノにマッコイ・タイナーを考えていた。けどマッコイは、僕が思うに、巨額のギャラを要求したんだと思う。凄い高かったんじゃないかな。レニーは「Music」で僕と一緒にやっていて、ブルー・ノートの連中に僕を使うことが出来るかって言った。 おまけに僕は同門のブルー・ノートだったしね!その頃僕はフランスでツアーをしていたんだけど、ブルース・ランドヴァルから電話をもらって、アルバム作りのために3、4日位ニューヨークに来れないかって言われた。結構なギャラの額だった。思うに、最初にマッコイに払うつもりだった出演料が支払われたんじゃないかな。26000ドルとコンコルド往復チケットだよ!向こうに着いて、リハーサルして、3日でアルバムとビデオを作った。このアルバムは凄い気に入ってる。僕は自分が最初に名前を挙げられたピアニストじゃなくって、少し「スペアタイヤ」みたいな、代わりに使われる役割をしたことは分かってるけど、それを差し引いてもやっぱりレニーが僕の名前を挙げてくれたのが嬉しかったな。

けどね、このアルバムに関していうと、思うにレニーは「Music」の僕のアレンジをパクッたと思う。シンセサイザーとかその他もろもろの所を・・・「Music」の「香り」っていうのかな、そういうのを彼は気に入ったんじゃないかな。それでもっと凝った、でも同じようなものを作ろうとしたんだ。スタンリー・クラークと仕事するのは凄い楽しかった。結構感じのいい奴なんだ。アルバムのエレクトリックな部分は全部、気に入ってる。けどスタンリーがベースを弾いている所は好きじゃない。ウェインは凄いよね・・・ブルー・ノートからはかなり豪勢な待遇を受けたよ。一人一部屋、楽屋を用意して、メンバーに個々にプレゼントもくれた。僕にはフランス人だからって、高いボルドーワインを2本もくれた。あと、カードがついてたな・・・もらった時、ウェインがちょうど僕に会いに来ていて、「ミシェル、セッションの後、君の所に行ってもいいかな?」って言った。だから僕は「ああ、多分新しい仕事の話だな、一緒に何かやろうってことだな・・・」って内心思った。嬉しかったよ。で、レコーディングの後に、ウェインがやって来て、「今いいかな?」って言うから、「もちろん、どうぞ・・・」って言った。彼はやって来るなり、僕のボルドーワインを指差して、「それ持っててもいいかな」って尋ねた・・・僕が「いいよ」って言ったら、もうびっくり!彼はワインを持ってさっさっと帰ってっちゃった・・・皆、僕はそんなに大した苦労もしてないと思ってるかもしれないけど、僕だって何度も失望を味わってきた。何でもかんでもうまくいくとは限らないよね・・・この話がそれを物語ってるでしょ。」続く

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[翻訳]
Poisson
[訳注参考サイト]
ジョニー・クレッグ
ラシェル・フェレル
レニー・ホワイト

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